初めて書いたdiarynoteを見ると( https://yanagibuson77.diarynote.jp/201402141449046793/
僕は当時22歳で長崎県立大学に通っていて一人暮らしをしていました。
毎日深夜遅くまでポケモン(ゲーム)の対戦放送をニコ生で配信し続け単位を落とすダメな大学生でした。
ポケモンカードはポケモンがもともと好きだったのでちょっと触ってみるか程度についでで始めたもので、こんなに長く遊ぶくことになるとは思っていませんでした。

そもそも当時長崎にはポケモンカードが全然売っておらず、発売日にトイザらスですら数ボックス入荷する程度。
ジムバトルは県内に1か所のみ。2時間移動してハーフの殿堂しかない魔境。
それも大体参加者は0人。
おそらくコレクション目的で数パック買う人しか存在しておらず当然対面で対戦する機会などありませんでした。

ついででポケカをかじってみたものの、対戦できなくては面白くないのでニコ生でskypeでwebカメラを使って対戦相手を募集してる人がいたので真似を始めました。
意外と対戦しに来てくれる人はいて、ズンさん、てつさん、めたるさん、のうやくさん、しょうさんなど嬉しいことに今でも繋がりのある方もいます。

そのころはまだ大会に出ようなんかまったく思っていなくて楽しく遊べればいいやと思っていたのですが、うまくデッキを組めるようになりたいと思って調べるうちに辿り着いたのがDiary Noteでした。
たくさんのデッキレシピと対戦レポ。
どの日記も僕にはとても上のレベルのものだったのでどの日記もすげー!すげー!って言いながら読んでいました。
大会に出てる人=すごい人みたいな良くわからない尊敬の仕方をしていました。


ポケカ過疎地にいた自分にとって、Diary Noteはポケカで成長するためのノウハウがすべて詰まった場所に思えていました。
強そうなこと書いてるけど大したことないレシピや、たまたま勝っただけの入賞レポなどを読み分ける力はなく、全てを吸収しようとしていました。
自分で初めてDiary Noteを書くようになるのはそのちょっと後なのですが、当時は情報の入手手段がそれくらいしかありません。
色んなDiary Noteを読んで、ニコ生でSkype対戦をして徐々にポケモンカードがどういうゲームなのかを学んでいきました。
完成されたレシピも少なく、そもそもガチ対戦する人も少なかったのでデッキはガバガバ。
何もかもが手探り、それでも作ったデッキのクオリティは徐々に進歩している。あっているかはわからないけれども成長している実感があったのが楽しかったです。


それから少し経ち、長崎でもジムバトルが開催されるようになりどらさんと知りあって徐々に参加者の輪が広がっていきました。
その後東京へ出てきてジムバトルがより近い存在になり、Diary Noteで見てきた有名な方たちとみらチャンなどの自主大会で対戦し、大型大会に出るようになり今に至ります。


今は完成されたデッキが”ポケカ 環境デッキ”で検索すればカード名や効果を知らなくても出てきます。
環境的にゲームスピード早いのも相まって手探り感のあるデッキと対戦する機会は減りました。
それが今の遊び方の主流だと思います。
懐古厨みたいなこと言いたくないんですが僕は何もわからないところから少しずつ手探りで強くなろうとした感覚が忘れられなくて今でもオリジナリティのあるデッキを作ろうとしているところがあります。


自分の過去のDiary Noteを読み返すとそのあたりの感覚がちょっとだけ戻ってきます。
あの頃はポケカをこんなに続けると思ってなかったけど書いておいて本当に良かった。
すごく使いにくかったけど文には現れない大事なものがたくさんここには残っていました。
ありがとうDiary Note。

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